2012年12月5日水曜日
2011年8月17日水曜日
久々仏教用語
何苦礎 なにくそ 以来、良い仏教用語の出会う機会がなかったのですが
【シャカリキ】
夢中になって頑張ることを「シャカリキ」という。語源は「釈迦の力」文字通り「釈迦力」のこと。
【ウロウロ】
あっち行ったり、こっちに来たりすることを「ウロウロする」という。これも仏教用語で漢字では「有漏有漏」と書く。「漏」とは煩悩のこと。つまり「有漏」とは「煩悩が有る」という意味である。
夢中になって頑張ることを「シャカリキ」という。語源は「釈迦の力」文字通り「釈迦力」のこと。
【ウロウロ】
あっち行ったり、こっちに来たりすることを「ウロウロする」という。これも仏教用語で漢字では「有漏有漏」と書く。「漏」とは煩悩のこと。つまり「有漏」とは「煩悩が有る」という意味である。
シャカリキ 釈迦の力 いいじゃない。
2009年12月26日土曜日
やらないよりはましか?
2009年11月3日火曜日
仏教勉強し始めました
先日東本願寺にいって色々話を聞いてから、少し勉強してみようと思い、簡単なものから紹介してもらって読み始めました。
カウンセリングのテクニックにある「リフレーム」の概念が出ていたりして、分かりやすいです(まだ全部終わってませんが)。
仏教がとてつもなく「寛容」な宗教だということや、快・不快ということは自分の「フレーム」が強すぎるほど反動が大きいということなどが理解できましたが、「とらわれない」という考え方が分かるものの、それがあるから人間ちゃうの?というようなまだ落とし込みができていない部分も多くあり、まだ自分に浸透するには時間が必要です。
2009年9月25日金曜日
仏教
僧侶にお経を上げてもらわずに、火葬場に送るような「直葬」というスタイルが増えているようです。「世間の人と宗教家の感覚にずれがある」と宗教も自覚しているらしいです。
今まで気づいてなかったで凄いですね。
「寺と僧侶は、死者だけを相手にするのではなく、生きる人の支えや助けにならねばならない」
今まで誰を相手にしていたのかしら?出来上がった組織が目的と手段を混合する典型例ですね。もともと死者向けのものだったのかと驚きを禁じえません。
あっ、「宗教も自覚」という意味不明な文章を書いている産経新聞も大丈夫か?
2009年8月29日土曜日
2009年7月1日水曜日
思わず買ってしまった
2009年6月7日日曜日
仏教
友人と昨晩話し込んできました。
仏教の教えや、伝えたいことなど、色々話をしました。
やはり組織が大きく安定してくると、守りに入るのは常のようでした。
寺の歴史をたどると、つい最近でも「寺小屋」というものがあったように、社会の重要なコネクターとしての位置づけであった時代もあり、今の役所や公民館などの役割を担っていました。
それが現代の核家族というのか、コミュニティーの絆が弱まったことと同じくお寺の役割も相対的に価値が下がってきたというのが現状のようです。
今その代わりはmixiか?
2009年6月6日土曜日
法事
で年末以来の京都にきています。
京都駅前のホテルに今回も泊まって、同じくレンタカーを借りて京都の果ての友人のお寺にきています。京都の町は金曜日の夜にしては少し人が少ないように感じましたが、インフルエンザの影響でしょうか。
東京で仕事をしていると、どうしても「スピード」「変化」など、自分の状況に対して強迫観念のように「今までと違うこと」をしなくてはという思いに駆られますが、こういうのんびりしたところにくると、「別にそんなに目くじらたててしなくても良いかな」と一歩引いて考えることができます。
少しリフレッシュして明日かえろう。
京都駅前のホテルに今回も泊まって、同じくレンタカーを借りて京都の果ての友人のお寺にきています。京都の町は金曜日の夜にしては少し人が少ないように感じましたが、インフルエンザの影響でしょうか。
東京で仕事をしていると、どうしても「スピード」「変化」など、自分の状況に対して強迫観念のように「今までと違うこと」をしなくてはという思いに駆られますが、こういうのんびりしたところにくると、「別にそんなに目くじらたててしなくても良いかな」と一歩引いて考えることができます。
少しリフレッシュして明日かえろう。
2009年5月18日月曜日
2008年6月7日土曜日
2008年5月12日月曜日
わびさび
「侘び寂び」って書くんですね~。
しかも侘びと寂びって意味が違うんだとは知らなかった。
侘びは粗末・質素な様子・寂びは古びた様子だそうです。
今日は上記とは違う意味ですが、良い意味で「あやふやなもの」として侘び寂びを使われている方がいました。侘び寂びは、家でいうと縁側であり障子であると。縁側は家の内側ともいえるし外側ともいえる。障子は光を防いでいるようで防いでいない。はっきりを区別をせずに、自然の流れで外と内、光と影をつないでいる。アハ体験みたいな話ですがなんとなく分かるような気がします。
それが英語にするとなると、fuzzyでもないしなかなか良い表現が見つからない。
しかも侘びと寂びって意味が違うんだとは知らなかった。
侘びは粗末・質素な様子・寂びは古びた様子だそうです。
今日は上記とは違う意味ですが、良い意味で「あやふやなもの」として侘び寂びを使われている方がいました。侘び寂びは、家でいうと縁側であり障子であると。縁側は家の内側ともいえるし外側ともいえる。障子は光を防いでいるようで防いでいない。はっきりを区別をせずに、自然の流れで外と内、光と影をつないでいる。アハ体験みたいな話ですがなんとなく分かるような気がします。
それが英語にするとなると、fuzzyでもないしなかなか良い表現が見つからない。
2008年1月3日木曜日
お寺の名前の由来知ってた?
連れ合いの実家の墓参りに付き合う。寺町といって見事な位にお寺が集まっています。
関西にも「寺町」といった町名はありますが、これほど寺が集まっているのは見たことがない。
で、何気なく寺の名前を見ていると「専」から始まる名前が多いことに気がつく。
友人の坊さんにメールをしたとこと、ちゃんとした意味があって「専」から始まっているとのこと。
ちなみに彼のお寺の名前も「専光寺」
平安時代の仏教は、修行や功徳はやるだけやったらいいといった形になってしまっていた。雑修といって少し拡散してしまったんですな。
鎌倉時代に入り、自分にとって本当の拠り所となる教えや行をただひとつ選び取るという「専修」スタイルの仏教が起こりました。禅だったらひたすら座禅、浄土真宗は念仏といった形です。なので、鎌倉以降のお寺には「専」という文字がよく使われているらしいです。
深いな~。でも子供の名前の流行と一緒で、当時から流行はあったわけですな。昔の人も結構ミーハーだったりして。
宗教という物自体が「宗となる教え=拠り所となる」と考えると、正しい選択かも。
関西にも「寺町」といった町名はありますが、これほど寺が集まっているのは見たことがない。
で、何気なく寺の名前を見ていると「専」から始まる名前が多いことに気がつく。
友人の坊さんにメールをしたとこと、ちゃんとした意味があって「専」から始まっているとのこと。
ちなみに彼のお寺の名前も「専光寺」
平安時代の仏教は、修行や功徳はやるだけやったらいいといった形になってしまっていた。雑修といって少し拡散してしまったんですな。
鎌倉時代に入り、自分にとって本当の拠り所となる教えや行をただひとつ選び取るという「専修」スタイルの仏教が起こりました。禅だったらひたすら座禅、浄土真宗は念仏といった形です。なので、鎌倉以降のお寺には「専」という文字がよく使われているらしいです。
深いな~。でも子供の名前の流行と一緒で、当時から流行はあったわけですな。昔の人も結構ミーハーだったりして。
宗教という物自体が「宗となる教え=拠り所となる」と考えると、正しい選択かも。
2007年9月22日土曜日
取り組みはいいんだけどな~

歎異抄、思いっきり現代語訳
親鸞の思想を伝える「歎異抄(たんにしょう)」は根強い人気を集める仏教書らしい。
記事によると「仏教界からも日常語での思い切った訳が発表された」ということ。
ここ数年宗教、中でも仏教の放つ言葉や世界観は、今の日常生活でも凄く使えるし、腑に落ちる言葉が多いなと注目をしていました。デミルレイズの岩村が好きな「何苦楚」なども、私の好きな言葉の一つです。
5,6年ほど前に「成長する人、成功する人の共通項ってなんだろね?」と、かなり長い時間話し込んだ時期がありました(合計で3日分72時間くらいは話をした)。そのときに話をしていた8人ほどでわかったことは「経験から学習している」という1点でした。何苦楚という言葉の意味も同じような意味だったので、「仏教家もやるじゃん?」とそのあたりから仏教の言葉に注目することが増えました。
考えれば「生きること」について考えつくした人たちの言葉なので「役に立つ」のは間違いないはずなんです。
が、それだけ良い言葉を持っている割には、仏教会から世の中への発信が少ないし、つまらないな~と感じることが多く、組織も出来上がってしまうと本来の目的やDNAを忘れるものだなと思っていました。
そんな中、上記の記事がでたので「え~ど~」と思い、読んでみました。
相当思い切った訳ということがしきりに記事に書かれていました。
「ほかにも大胆な訳として「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」という一節を、「愛には、人間の思いを中心とした愛と人間の思いを超えた愛の違いがある」とし た。「愛」はキリスト教のアガペーに通じる響きがあるため、相当な議論となった。しかし、このほうが今の日本ではさまざまにイメージを膨らませてもらえる と判断した。」
なんじゃこら?全文を読んでいないのでなんともいえませんが、「現代語」とは思えない。
いったい読ませたい人は誰で、この本でどこまで理解・影響を受けて欲しいのか?たぶんそこまでは考えてないんだろうなと思います。なので五木寛之のような人が「仏教家」のような扱いを受けてるんだろうと思います。
最後には
「伝統的な解釈を否定するわけではないが、歎異抄は多面的な可能性を持っており、いろいろな問題提起があっていい。現代はいじめや自死の問題なども深刻。時代に迎合するという意味ではなく、『響く言葉』を発信することは宗教者に課せられた宿題だ」
と締めています。心意気はよし!!「響く言葉」という宿題についての課題意識も素晴らしい!!
だけど、今の段階では「響く言葉」には程遠いです。
個人的には、「ビジネスマン」というマーケットに対して、心に響く書物を出して欲しいと思います。
私も含めて時代の変化に振り回されたり、プライベートも変化が大きい時期。そして、仏教以外の自己啓発本など、色々なメディアも出ているので、仏教家が「響く言葉」を出せるかどうかの試金石としては丁度よいのではないかと思います。
2007年9月11日火曜日
仏教仕掛ける
シブヤで精進料理、写経体験も…「高野山カフェが登場 」やっと動き始めたか・・・。
青山でcafeを出すようです。高野山は世界遺産に登録されて140万人/年訪れましたが、少しずつ減って120万人に減っているようです。
高野山と南海電鉄が組んで、仕掛けたのがこれです。
食事だけではなく座禅も組めるようなので、きっかけにはなるかもしれません。
仏教もこれだけ広まったのは、「マーケティング・プロモーション」がうまかったという事実があるわけなので、現代になっても、その心を忘れてほしくないものです。
2007年8月26日日曜日
原点回帰


京都の果てにある友人宅へお盆を兼ねて訪れる。
日本というか私の原風景とも取れる環境がまだまだ残されている場所です。
「国家の品格」で田んぼは残せって書いてありましたが、よくわかります。
夜は写真右上にある境内でお経を上げてもらった後、お互いの近況などについて報告。彼は坊さんであるとともに、大学で仏教を学び教える立場でもあるので、「人の考え方・生き方」などについて話し込んだ。ここ5年くらいのテーマである「仏教をもっと人生に役立ててもらうには?」について話し込んだ。
彼の中には「正しく知ってもらう」という思いがあり、私の中には「まずは多くの人に知ってもらう」という思いがあり、どれがいいやり方なのかを話あっていました。仏教には非常に面白くて役に立つ言葉がたくさんあります。「何苦楚」なにくそと読みますが、「苦しいことも何事もあなたの礎になる」という意味がこめられています。デビルレイズの岩本もこの言葉を良く使っています。HP調べてみたら「何苦楚」グッズが売られていました・・・。
私は多少誤解が生まれても、より多くの人の役にたつには「知ってもらう、聞いてもらう」というのが重要だと思っているのですが、今一般に知られている仏教家というのは、彼ら仏教会からすると「全然わかってないやん」という人も多くいるようなのです。しかし、私はより多くの人に役立つという目的のためには、多少誤解する人がいたとしても「知ってもらう、聞いてもらう」ということにもっと力を入れていくべきだという話をしました。
「僧侶でアナウンサー」みたいな人が説法blogみたいなことを始めてはいるものの、仏教会としてはまだまだです。
そして深夜には私が今便利に使っているgoogleのニュースなどの使い方を教えてあげていたのですが、やはりインターネットや検索がもともと学者向けに作られていたこともあり、私が最初に接したときとは大違いの興奮振りでした。彼の反応を通して改めてnetのパワーを再確認。
下の写真は私が来るということで、おお張り切りしていた彼の従兄弟たちです。
今回も子供のパワーに振り回されたたびでした・・・。
2007年7月22日日曜日
四十九日

関西に帰郷していたのは、お伝えしたとおり。今日は京都にお参り・納骨に行ってきました。
宗派によって仕来りもいろいろあるようですが、今回思ったのは「やってくれる人の気持ち」が大事だということ。言葉では表現をしにくいのですが、仕来りも含めて凄く時間を割いてくれていたり、決して合理的ではないものに対して力を注いでくれるという気持ちがあるので、安心して任せられるとでもいうのでしょうか・・・。全面的に賛成ではありませんが、宗教法人が無課税である意味を少し理解しました。
京都は学生時代も長く住んでいましたし、この数年も観光で良く行っていましたが、「納骨」という一大イベントで訪れたのは初めて。観光客もたくさんいましたが、逆にわれわれと同じ目的で訪れていたご家族も多数。今まで全く気に留めていませんでしたが、同じ空間に「観光」「納骨」という全く違う目的の人間が混在したいたわけですね。
京都駅でレンタカーを返すまでの道のり、街中をドライブしましたが、京都はやはり落ち着きます。
帰り際に友人の職場に立ち寄り
「旅行をする際は、いわゆる口コミをチェック」
というユーザーの最近の動向について意見交換しました。
また京都にこようっと!!
デジカメの調子がかなり悪い・・・。原因は昨日デジカメをこねくり回していた妹のせいだ。
写真右は彼女撮影。どうやったらこんな写真が取れるのだろうか・・・。
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