根本的な「意識」が揃っていないと、会話って噛合わないものです。
「意識」が数字など目に見えるものの場合もあれば、ビジョンなど向かうべき姿の場合もあるでしょう。
どちらにしろ、会話の基準となるべきものがない中で議論をしても良い結果はなかなかでないでしょう。
おそらく「有識者会議」と言われるものなども、こういった意識の刷り合わせをしないまま行われているので、型どおりのものに終わってしまうのかなと感じています。
基準がなければ、それぞれがそれぞれの立場で考えていることが(バックグランドも違う)、その人の中ではもちろん正解であり、他人の意見を聞く必要もない。基準がないので、歩みよりもできない。
組織の強さって、案外こういった目には見えないことのほうが出発点・基礎なのかもしれません。
「見える化」することが大事といわれていますが、同じくらい「目に見えない意識・基準」がなければ、単なる数字を追うだけの組織になってしまう。数字はあくまで結果で、見方を変えればいくらでも解釈を変えることはできます。
2 件のコメント:
>「目に見えない意識・基準」
組織が持つ文脈って目に見える以上に要注意だよねぇ。
「見える化」もわかってたけどなんか耳に新鮮なんで色んなことに使われているけど、
本来は「不透明だから明確にして」って意味で、何でも形式知(表層化)しろってことじゃないよなぁ。そんなことしても無意味なもんて少なくないし。。
そうなんです。所詮見えるものも大事なのは間違いないんです。ただし、「言葉」でも「数字」でも「目に見える」状態にはなっているのですが、そこに「重み」を感じさせるかどうかは、意志だったり、気持ちだったりすると思っています。目に見えるものだけで動かすのであれば、それは仕事ではなくて「オペレーション」になってしまうかと。
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