2007年12月31日月曜日

2007年を総括

今年は「激動」と真に呼べる一年でした。
激動でGoogleイメージ検索をかけても、ぴんとくるものはなかったので、画像なしでいきます。
かつ「笑ってはいけない」を21時から見るため、一気にかくので乱文はご容赦ください。

   年初は前職の会社の上司に「辞めます」というところから始まり、形ながらも引きとめてもらうことができ(新規立ち上げだったので、人がいないということもありますが嬉しいことです)、今まで会えていなかった偉いさんにも会うことができたくさんの刺激をもらいました。
退職して、1ヶ月ほど休憩しようと思っていた矢先に、母が倒れて入院。結局予定していた殆どのプランをキャンセルし、看病にあたる。
GW後、新しい職場にいくが入社研修が1週間あってすぐにアメリカに。もともと海外は慣れていない上に、殆ど聞き取れない英語を1週間浴び続ける。
帰ってきたかと思えば、母の体調が思わしくなく、さらには入院先の兵庫医大のあまりにもお粗末な対応への処理に追われる。そして、母親の死去。7年ほど前に両親が離婚してから、「母を扶養する」という形だけの対応のはずが、やけに肩肘張って面倒を見てきたつもりになっていました。しかし今回は姉や父、嫁に助けられたという思いが強く残りました。
   その後、のんびりする間もなく、仕事は徐々に回り始めたので、どんどん余裕がなくなる。英会話を自分にプレッシャーをかける意味ではじめたのは良いものの、異様なスケジュールになってしまう。また、母の死後の手続きも、煩雑なものも多く、役所の対応に本当に苛立ちを覚える。今までサラリーマンだし「納税」の意識も殆どなく生きてきたが、このころから兵庫医大・役所など公営機関の仕事のレベルの低さを痛感する出来事が続いたので、本当に納税するのが嫌になった。

夏休みもとらずにひたすら仕事を処理するような状態だったが、9月にはかなり大きなイベントで講演をすることになり、これまた「広報のチェック」という今までにない経験を味わう。
その後はブログでも書いているように、社内で「この会社をどげんとせんといかん!!」と、思っている同僚たちとともに、会社を少しでも良い方向へ持っていくために四苦八苦。しかし、徐々に同志というか、同じような気持ちを持っている人が見つかり、来年に向けて希望の光が見えてくる。

この7,8年ずっと思っていますが、今年も転職したてというのに本当に人に恵まれました。上司は私が母の死後帰ってきたら、意味もなく呼び出してくれて自分の経験を話してくれるだけではなく「休みたいときは休め」と声をかけてくれるし、同僚は部屋に入ってすぐに「お帰りなさい」と普通に声をかけてくれました。本人は覚えてないかもしれませんが、私にとっては両者とも凄く心が温まる一言でした。
仕事においても、お互いあって間もないのに本音でぶつかり合える同僚に恵まれました。仕事は結局は「人」が行うものなので、感情は切っても切れない。そのためには「お互いの相互理解」が必要だし、またそのためには「心を開いた会話」が重要。分かっていても殆どの人が出来ていない中、(しかも転職先は組織自体が急成長しているのでお互いやることはいっぱい)びっくりするくらいに深いコミュニケーションが取れたのは、お互いに何かを感じ取ったからなのではないかと思います。相変わらずのポジティブシンキングで捉えると、「俺はよくこれだけの人と、深い話ができたな」と思える人たちと多く出会いました。
もちろん過去に仕事や悩みをともにした仲間ともしっかりと続いているので、来年はそれを融合させていきたいな。なんか面白くなってきた。

プライベートでは、10月末には入籍もしました。
そして、年末には今まで一切やってこなかった節税対策のために、友人の勧めで色々とトライしてみた。

今年を表す言葉が「偽」だったようですが、私には無縁の年でした。偽をする暇もなく、偽をするほど余裕もありませんでした。でも余裕がなかったのも確かな1年だったので、来年もぎりぎりっまで突っ走りながらも、人間的な「幅」もつけたいと思っています。

来年も良い年になるだろ!!

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