2007年12月11日火曜日

視点の違いが結果を変える

先日話をした、来年社会人になるfresh boy 。既に引退はしましたが、最終戦績はインカレ出場。テニスの体育会では、お互いのレベルを見図るための尺度がはっきりと存在しています。ちなみに卒業してもずっと付きまとわれる戦績です。振り返ってみるととちっちゃい尺度だな~と思うのですが、正直な話、私は今でも、大体それでその人のテニスのレベルをある程度さぐりをいれちゃいます。

それを説明する前に、テニスの大会の構図をざっくりと説明します。
まず下記の写真ですが、まず各大学が会場になって、予選会が開かれます。私が関西の大学にいたときは約5000人が出場していて、予選免除者が20人くらいいて、予選会からは大体100名前後が本線にあがることができます。これがまず第一関門。
本線はちゃんと会場を借りて行われ、準決勝あたりからはテレビでみる試合のように、ボール拾いもいて線審もいてかなり本格的です。ちなみにテニスボールというのは消費が早いのですが、予選では基本的に2球だけ、本戦でも同じ形だったはず。BEST8あたりから、9-11(ナインイレブン)といって、最初は9ゲーム(試合前練習があるので)、その後は11ゲーム消化するごとにボールを新しくします。
我々がTVで見るような4台大会などは、基本的に8球ほどを7-9、すなわち、7ゲーム、9ゲームで全て新しい球に変えています。試合にも格差がすごくあるんです。

話を戻すと、まず予選を抜けたかどうかで、関東の選手であれば「関東学生」、関西であれば「関西学生」と呼ばれます。これは「関東学生選手権に出場した」という意味合いです。
そして、その本戦である程度の戦績を残すと、次は「全国学生選手権」すなわち「インカレ」となるわけです。

上記写真の一番したが、「全日本学生選手権」ですね。これが本戦出場に続く第二関門になるのですが、先ほどの第一関門と違って、ここはかなり大きな違いを生みます。
「関東学生」「関西学生」といっても、恐らく学生時代に選手だった人以外にはあまり通じないですが、
「インカレ」かどうかについては、今後のテニス人生での「印籠」にもなれば、「免罪符」にもなりえるくらいの違いを生みます。「彼はインカレだよ」というだけで、10年たとうが20年たとうが、「へ~、だからうまいんだ」と一生下駄をはくことも可能です。
しかし、実はその上に本当の日本NO1を決める「全日本選手権」があって、その上に、世界に飛び出る下部大会があり、そのまた上にもう一ランクあって、そして、そのまた上になってやっと昔で言う「セイコースーパーテニス」のような大会がやっとでてきます・・・。
ちなみにウィンブルドンなどの大会はそのまたさらに上のグレードになります。
なので、インカレといっても実はたいしたことはないのですが、甲子園出場選手が1大会につき、20名×約50校=1000人程度いることを思えば、テニスの場合は10分の1の100人にも満たない数なので、ある程度の価値はあるんですけどね。

というわけで、女子に比べて男子は活躍してないように見られがちですが、そもそもウィンブルドンなどの予選にでるだけでも、テニスの世界では相当なエリートにあたります。メジャーリーグといっても数千人いるわけなので。

と前置きが長くなりましたが、後輩はインカレにも出場ができていない状態で4年を迎えていました。
これは完全に個人的な見解ですが、大学でテニスをしていてインカレに出ていないというのは、私の中では「何のためにテニス部にいたのか!?」というくらいの基準で、過去には大学からテニスを始めてインカレにいった選手が数多くいました。彼に昨年あったときに、「インカレにいかないのなら、人事も紹介しないし、話をする気もない」と直属の後輩だけに厳しい指摘をしました。
結果、彼はインカレに無事に出場。

私の時代はまだ大学全体が強かったこともあり、「インカレ?出場して当然。予選なんかで負ける奴には練習する資格なし」というようなムードがあったため、インカレにでるのがスタンダードで、そこからどれだけ伸ばせるかが「標準な視点」でした。
そのため当時は、「この人がインカレいけるわけね~だろ!?」というような人までいつのまにか勝ちあがったりすることが多くありました。
私が学生最後の試合の後、親友の大学に呼ばれて何回か指導した際に、「下手だから予選に出てる。うまい奴は予選にもでないし、そもそも学生の試合なんかにでてこない。しかし、下手だから予選に出ている選手に負ける君たちは何してるんだ?わしなら、左で練習しても絶対に本戦に上がれる」というような旨を話したところ、真に受けた1人の学生がその後、予選を勝ち抜き本戦も1回勝ち、もう少しでインカレというところまで勝ち進みました。その大学では本戦にあがることが「伝説」となっていてもともとの視点が低かったわけです。もちろん彼は「レジェンド」。

入社してすぐに、伝説の営業マンと呼ばれる先輩からも「会社の規模は、創業者・経営者の器以上には大きくならない」と教えてもらって、ダイエーの中内さんの話を教えてもらいました。
彼は「日本全国に、安くて安心できる食材を届ける」ことを考えていたらしいです(未確認)

自分なりの常識や「視界の広さ・狭さ」があるのは、すなわち「自分らしさ」を表すことになるので、悪いことだとは思いません。しかし、個人的にはせっかく短い人生、自分では思いもよらない「視点」を持った人に出会いたいし、自分もそうありたいなと思います。またそうなることで面白いことも巻き起こるのではないかと思っています。

その上で一番大事な「現状認識」、自分の常識・視野の広さが、どの程度にあるのかしっかりと見つめることがまず最初だな。

まとまりないけど、疲れたから終わり

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