2007年9月22日土曜日

取り組みはいいんだけどな~


歎異抄、思いっきり現代語訳


親鸞の思想を伝える「歎異抄(たんにしょう)」は根強い人気を集める仏教書らしい。

記事によると「仏教界からも日常語での思い切った訳が発表された」ということ。
ここ数年宗教、中でも仏教の放つ言葉や世界観は、今の日常生活でも凄く使えるし、腑に落ちる言葉が多いなと注目をしていました。デミルレイズの岩村が好きな「何苦楚」なども、私の好きな言葉の一つです。
5,6年ほど前に「成長する人、成功する人の共通項ってなんだろね?」と、かなり長い時間話し込んだ時期がありました(合計で3日分72時間くらいは話をした)。そのときに話をしていた8人ほどでわかったことは「経験から学習している」という1点でした。何苦楚という言葉の意味も同じような意味だったので、「仏教家もやるじゃん?」とそのあたりから仏教の言葉に注目することが増えました。
考えれば「生きること」について考えつくした人たちの言葉なので「役に立つ」のは間違いないはずなんです。
が、それだけ良い言葉を持っている割には、仏教会から世の中への発信が少ないし、つまらないな~と感じることが多く、組織も出来上がってしまうと本来の目的やDNAを忘れるものだなと思っていました。

そんな中、上記の記事がでたので「え~ど~」と思い、読んでみました。
相当思い切った訳ということがしきりに記事に書かれていました。

「ほかにも大胆な訳として「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」という一節を、「愛には、人間の思いを中心とした愛と人間の思いを超えた愛の違いがある」とし た。「愛」はキリスト教のアガペーに通じる響きがあるため、相当な議論となった。しかし、このほうが今の日本ではさまざまにイメージを膨らませてもらえる と判断した。」

なんじゃこら?全文を読んでいないのでなんともいえませんが、「現代語」とは思えない。
いったい読ませたい人は誰で、この本でどこまで理解・影響を受けて欲しいのか?たぶんそこまでは考えてないんだろうなと思います。なので五木寛之のような人が「仏教家」のような扱いを受けてるんだろうと思います。

最後には

「伝統的な解釈を否定するわけではないが、歎異抄は多面的な可能性を持っており、いろいろな問題提起があっていい。現代はいじめや自死の問題なども深刻。時代に迎合するという意味ではなく、『響く言葉』を発信することは宗教者に課せられた宿題だ」

と締めています。心意気はよし!!「響く言葉」という宿題についての課題意識も素晴らしい!!
だけど、今の段階では「響く言葉」には程遠いです。
個人的には、「ビジネスマン」というマーケットに対して、心に響く書物を出して欲しいと思います。
私も含めて時代の変化に振り回されたり、プライベートも変化が大きい時期。そして、仏教以外の自己啓発本など、色々なメディアも出ているので、仏教家が「響く言葉」を出せるかどうかの試金石としては丁度よいのではないかと思います。

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