2008年1月17日木曜日

扱いが年々小さくなる・・・あれほどの震災だったのに


今日で震災から13年か~~~。私の意識からもそうですが、世の中での扱われ方もずいぶん小さくなってきたように思う。震災を芦屋で直撃して数年は「生きているだけで感謝」と思っていたけど、そんな気持ちもどこへやら。
震災時は、卒業旅行帰りから、まさかの試験受け忘れ留年により就職&入寮も取り消しになり失意の1年間(といっても凄く充実した1年でしたが)を送っていたときでした。もちろん住む所もあてが急になくなったので、1年間は実家のマンションのリビングを占拠するというはなはだ迷惑な状態でした。
今でも覚えていますが、朝もちろん寝ているときに地面から「どーーーん」と突き上げられた感じがして、
「やばいやばい」という感覚が1分間くらい続いたと思います。ジェットコースターとか他人の運転などでも、感覚的に「これ以上いったらやばいって!!」「何かが起こってもおかしくない」という危機センサーの基準を振り切った感覚が、長く続きました。

もちろん同じマンションで亡くなった方もいらっしゃいましたし、知り合いにも数名犠牲者がでました。
特に行政の対応の遅れ、当事者でない大阪知事の発言など、「役所」への疑問をかなり意識した時期でもありました。

普通に仕事をしていて、特に東京のように全体的なスピードも速いなかにいると、こういう出来事に対してじっくりと考えたり、「感じたり」することがなかなかできなくなってしまう。またそのときに感じていた気持ちなども忘れてしまう。
とらわれてはいけないけど、そのときの感覚は間違いなく今の自分に影響を与えているわけなので、たまには、「何もしない時間」が必要だな。

とにかく、今日は黙祷。

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